LOOSE GAME 03-6


戻ったホテルは、気持ち悪いくらい静かで。
ある程度覚悟してた、マネージャー連のお説教もなく。
あたしは肩透かしをくらったみたいに呆気なく、自分の部屋に戻って。

シャワーを浴びて。
粘つく汗を洗い流して。
ベッドにもぐりこんで、彼らの歌を抱いて眠った。

「歌う場所はどこにでもある」
あの人の声が夢の中でも聞こえていた。

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次の日、まだはっきり目も覚めないうちからワゴンバスに揺られて会場入り。
でも、あたしは昨日までのあたしじゃない。
自由になるんだ。わがままになるんだ。
騙されない。嘘は見抜いてやる。話の裏も見抜く。
あたしは弱くなんかない。
もうメソメソ悩んだりしないから、そこからでもかかってくればいいんだ。

NOって言ってやる。
FUCK NO!って。

楽屋に入ると、あたしはちょっと前までみたいに、置いてあるラジカセに近づいた。
誰にってわけでもなく声をかける。

「ねー、MODSかけていーい?」

楽屋はしんと静まり返る。
あんなにうるさかったのに。
そりゃあそうだ。昨日までのあたしは、楽屋の隅で背中を丸めて、誰も寄せ付けないみたいに、無言で誰かを責めていたんだから。

「かけてー!何かけるのー?」

一番に口を開いたのはののだった。
カバンからCDを出しているあたしの背中に飛びつくようにして抱きついてくる。
「渋いトコロで、F.A.BとROKKAHOLIC。どっちがいい?」
「F.A.B!LONDON NITE 歌う〜!」
ののは嬉しそうに言った。

彼らの歌が流れ出すと、前みたいにみんなが声をかけてきた。
「久しぶりですねー。モッズー」
「もー、またこれ〜?」
「これうるさいんだよねー」

「うさーい。お前らロックを聞けー!」
あたしも前みたいに笑って答えた。

そうだよ。
はじめからこうすればよかったんだ。
あたしは何も悪いことをしてたわけじゃない。
自分の意思を押し通すことは悪いことじゃない。

ただ、ずっと、それが悪いことだって思い込まされてただけ。

「ののー、昨日はゴメンね」
あたしはののに言った。
ののは、昨日の、あたしと姫野ちゃんの決闘を思い出したのかちょっと悲しそうな顔をしたけど、それは気がつかないフリをした。
だって、ののだってもう子供じゃない。
「昨日って何だよぉ」
矢口さんが聞いた。

「昨日、あたしとのの。っていうかあたし、ホテル抜け出したんですよー。それにののもついてきてぇ」

あたしは笑いながら答えた。
矢口さんはぎょっとした顔をした。
見てなかったけど、多分あたしより上の人たちはみんなそんな顔をしてたと思う。

「抜け出したって―――」
「MODSのライブがこっちであって、見たくって。でもバレバレだったみたいで会場で姫野ちゃんにつかまってー」

「よしこ!」

圭ちゃんが鋭い声を上げた。
圭ちゃんは怖い顔をしてあたしを見ていた。

うん、わかるよ。
あたしのこんな態度が下の子達に感染したらいけないって圭ちゃんの思い。
でも、あたしは思うんだ。

あたしは何にも間違ったことしてない。
少なくとも、自分自身に嘘はついてないって。

「何?」
あたしはなるべく挑戦的に見えるように、圭ちゃんにそう言った。
これは多分。
自分の未来を自分の手に取り戻すために、しなくてはいけない対決。
たとえ、したくなくても。
圭ちゃんのこと、大好きでも。

「そんなこと、自慢げに言ってんじゃないわよ」
圭ちゃんは厳しい顔のまま、そう言った。
みんなに聞こえないように声を落として。
「どうして?自慢げになんか言ってないよ。ただ、昨日のこと言っただけ」
「そんなことしていいと思ってるの?ホテルの抜け出しは―――」
「思ってるよ。抜け出しのどこがいけないの?あたしは、あたしがそうしたいからしたんだよ」
「パニックになったら―――」
「ならなかったよ?」

圭ちゃんは、あたしをぶとうと手を上げて。
楽屋中のみんながあたしたちに注目してることに気づいて、懸命に抑えた。

「それはたまたまでしょ?もし見つかったらどうするつもりだったの?」
押し殺したような、搾り出すような低い声で。
「見つかっても逃げる自信があったし、見つからない自信もあった。だから出掛けた」
「でも、辻がついてきたんでしょ?」
「勝手についてきたんだ。そこまであたしに責任はないね」
ちらっとののを見た。
ののは表情のない目でじっとあたし達を見てた。
「みんながそんな勝手な行動をとったらどうするつもり?」

あたしは、声のトーンをあげた。
楽屋中の、息を潜めてあたしたちのやり取りを聞いてるみんなに聞こえるように。

「あたしは自分のルールでしか動かない。だから、誰かに抜け出しがダメだって言われても、自分がいいと思ったらする。真似したければすればいい。でも、あたしはあたし以外の誰の責任も取らないから」

「よっすぃーっ!!」
梨華ちゃんが、張り詰めた空気をなんとかしようとあたしの名前を呼んだ。
泣きそうな顔で。
梨華ちゃんのその顔を見て、圭ちゃんは、あたしの顔を睨みつけてから、楽屋から出て行った。

何も梨華ちゃんが責任を感じることはないのに。
でもそこが梨華ちゃんのいいところだよね。
必死にその場を取り繕うと言葉を捜してる。

でも、あたしは梨華ちゃんを無視して、ののに向き直った。

「あたし、ののこと子供だと思うのやめたから。あたしについてきたかったら好きにしたらいいけど、ののの責任まであたし、背負う気ないからね」
ののは泣きそうな顔で、こくんとうなづいた。

嫌な静寂が流れた。
今まで笑い声しか聞こえなかった娘。の楽屋に。

楽屋のドアがノックされて、マネージャー連の一人が顔を出した。
流れる、彼らの音楽にあからさまに顔をしかめた。
そして、あたしの顔を見て言った。

「山田さんが話があるから、来いって」

嫌な感じ。
首筋の肌が逆立つのを感じた。
あたしは、ゆっくり息を吐いてから、言った。

「何の話ですか?」
「何のって……」

今まで、あたしも、誰でも話があるって言われれば、素直に後を付いていった。
それがいい話でもお説教でも。
職員室に呼び出される生徒みたいに。

でもあたしは、生徒じゃない。
プロなんだ。
お金を貰ってここにいるんだ。

だからこそ言うことを聞かなきゃいけない?
クソ食らえだ。

だからこそ。
誰の指図も受けないよ。
あたしがプロなのは、あたしに価値があるからだ。
あたしより、ヤツらのが偉いって誰が決めたんだ。
お金を払ってくれる人―――つまりファンのみんなが、あたしに価値がないって決めるまでは、あたしのボスはあたしだけだ。

「昨日のことのお説教ならここで聞きます。みんなのいるところで。みんなの前で話せない話ならそう言ってください」
マネージャーは絶句した。
まさか、こんなところであたしが噛みついてくるとは思ってなかったみたいで。
「お前……何言って……」
「みんなの前で言ったらいいじゃないですか。いつもみたいに、お前みたいな自己管理もできないウスノロはいつ辞めたっていいんだって」

あたしの言葉に、みんなが息を呑むのを感じた。
そうだよ、あたしは毎日大人に囲まれて、そうやって汚い言葉で小突き回されていたんだ。
それを、何も隠すことなんてなかったんだ。

「あと、何でしたっけ。娘。においてもらえるだけでありがたく思えでしたっけ?いい思いをしたければ大人しくしてろでしたっけ?プッチのシングルが出ないのもあたしが生意気なせいだって、小川もみんなもいる前で言ったらどうですか?何ならアヤカちゃんも呼んできましょうか?」

あんたたちがずるい手を使うなら。
あたしだってずるい手を使ってやる。
あんた達がどんなに汚いか、みんなの前でぶちまけてやる。
それで、みんながどっちにつこうとみんなの勝手だし。
たとえヤツらの方についたって、ヤツらの汚いやり方は教えてあげられる。

あたしの攻撃に切羽詰ったマネージャーは、いきなりあたしの腕をつかんだ。
結局は山田さんに言われたままにしか動けないクセに。
こいつも、娘。という「コムスメ達」を自分の思いのままに操れると思っている、ありもしない権力のイヌのでしかない。
だから、支配していると思っていたあたしが予測以外の行動をとったらその対処の仕方もわからないんだ。

「離せよ」

あたしは低い声で言った。

どっちにしろ。
どんな形にしろ。
娘。を愛していないヤツに娘。のそばにいて欲しくなんてない。

マネージャーは、あたしの形相に、思わず掴んでいた手を離した。
あたしの勝ち。
みんなの見ている前で。

あたしたちはみんな。
娘。という枠の中で、コイツら大人に抑圧されている。
あれはダメ、これはダメ。
ああしろ、こうしろって。
だからこそ、洪水寸前のダムの水のように、どんな小さな亀裂も見逃さない。
見つけたら、あふれ出すだけ。

だから、少なくとも、コイツは、今、あたしに負けた瞬間に、娘。に対しての全ての支配力を失っただろう。

ざまぁみろ。

マネージャーはあたしを連れて行くことを諦めて、楽屋から姿を消した。
「山田さんに報告するからなっ」
情けない捨て台詞をのこして。

好きにすればいい。
もう、わかってるって言っただろ?

自分が、破滅に向かって突っ走っていることは。

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あいぼんは、少なくともののよりは頭がいい。
だから、いつも悩み多き少女だ。

メディアの中の自分と本当の自分。
目立ちたい自分と恥ずかしがりやの自分。
のののように自由に振舞いたい自分と、多分この後の娘。を背負って立っていかなくてはいけないだろう自分。

いつもいろんなものに引き裂かれそうになって。
それで、結局あたしの腕に甘えに来る。

でも、最近はずっと、あたしは誰も近づけなかったし。
スタッフやお姉さんチームもあたしと近づけないように見張ってた。
それに、あいぼんは勘がいいから。
あたしがやってることも、それがどういうことなのかも、多分薄々感じてたんだと思う。

そのあいぼんが。
マネージャーを追い払った後。
どこか恥ずかしそうに。
あたしに近づいてきた。

あたしの膝の上で、屈託なく彼らの歌を歌うののをちらっと見てから。
あたしの隣にすべり込むように腰を下ろした。

「ののばっかり、よっすぃー独り占めしてずるい」
拗ねたようにそう言って、あたしの腕に自分の腕をからませてくる。
あたしはそんなあいぼんの頭をそっと撫ぜた。

梨華ちゃんがおどけた顔で近づいてくる。
多分、自分でも、さすがにちょっとこれはないだろう、と思っているであろう、新しいTシャツを持って。
「よっすぃー、どーお?コレ。可愛いでしょー?」
ショッキングピンクで胸にくまとうさぎがダンスしているイラスト。
それにしてもありえなさ過ぎじゃん?
「うぇー!何それ、だっせー!!」
「えー、何でよぉ」
「うわー、くっせぇ!臭いのが移るから近づけんなよぉ」
「ひどぉーい!」
梨華ちゃんは、わざわざ場を盛り上げるために、わざとダサい何かを買ってきて、自慢げにみんなに見せびらかしたりする。そんな子だ。
だからあたしものってあげて大騒ぎしてあげる。
梨華ちゃんの瞳の奥が、あたしのこと心配そうで、泣きそうな色をしてることも、気づかないフリをしてあげる。

あたし達より上のお姉さんチームはさすがにあたしに近づいてこようとはしない。
わかってる。
彼女達は半分はヤツらと同じ考え方だって。
でも娘。を愛して、あたしを愛してくれてるから、多分引き裂かれるみたいにつらい気持ちだってことも。

それでも、あたしの選んだやり方に賛成できない彼女達を責めるつもりも恨むつもりもこれっぽっちもないよ。
それどころか、感謝してる。
だって、彼女達はそうやって、今まで娘。を守ってきてくれたんだもん。
だからこそ、あたしは、こんな無謀な真似ができるんだってこと。
わかってたから。

ひとつだけ、あたしが誰よりも恵まれていたことは。
モーニング娘。に入れたことじゃない。
この大好きな仲間たちに出会えたことだ。
それが伝えられなくても。分かってもらえなくても。
―――たとえ嫌われても。

それだけは胸に刻んでおこう。
あたしは彼女達を愛してる。

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その日の昼公演は何事もなく無事に過ぎた。
もちろん、上の連中のあたしを見る目は今まで以上に冷たかったけど。

嫌な予感がしたのは、夜公演のリハーサル中。
ツアーも終盤に近づいて来てたから、それほど大きな変更もなくて、軽い確認作業とダメ出しくらいで。あたしたちはステージの上でいつもの作業を和やかに進めていた。

ただ、お客さんの入ってない客席の合間、何人かスタッフが行き来する中に。
あの、いやな金髪が見えた。

モーニング娘。を愛しすぎた。
あたしが一番憎んでて、そして一番恐れてる男。
ついこの間までは父親のように慕ってた、偉大なるプロデューサー。
いつも忙しく走り回っているヤツが、地方公演のステージに現われるなんて今まで無かった。

あたしの首を締め付けるロープが、またひとつきつくなるのを感じた。

また呼び出される?
また殴られてののしられる?
そんなこと何でもない。
今まで、信用していたあいつが壊れていくのを見るのが怖いだけ。
目の前に狂気を差し出されるのが怖いだけ。

アイツは、絶対狂ってる。

でも夜公演が始まるまで、あたしはヤツにも山田さんにも呼び出されることはなかった。
それでもあたしの肌はぴりぴりと緊張に震えっぱなしだった。
このままで終わるはずがない。

開演直前。
ステージ袖でいつもの円陣。
そして、ステージに滑り出すのを待つ、ほんの2,3分の緊張の時間。

汗ばむ自分の握り拳を見つめていたあたしは、山田さんが近づいてきたことに気がつかなかった。
すれ違いざま、ヤツはあたしに囁いた。
あたしにしか聞こえない声で。

「遊びは終りだな」

その言葉の意味が分からなくて、ヤツの方に振り向こうとしたとき、ステージクルーに背中を押された。

「出て!」

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湧き上がる歓声と熱気。
鳴り響く音楽に、叩き込まれたダンス。自然に体が動き出す。
あいぼんのセリフと梨華ちゃんのソロから始まる「AS FOR ONE DAY」

すぐに何か違和感を感じた。
自分の声が何か違う。
モニターの返りがおかしい?
何が起こってる?

その違和感の意味は、自分のソロパートにきて、分かった。

あたしのマイクだけ、入ってない。

流れてるのはレコーディングで録った、あたしのボーカルテイクの音。
生のあたしの声はスピーカーに拾われることはなく、歓声とオケに消されて自分の耳にすら聞こえない。

あたしは愕然とし、一瞬動きが止まった。

それに気づいたのは圭ちゃんだけだった。
それが当たり前の振り付けの様にあたしに近づき、「動きな!」そう耳元で怒鳴ってくれた。
その声に弾かれて、あたしは動き出した。

でも、やっぱりあたしの声は聞こえない。

頭の中は真っ白だった。
どうやってその日の公演を終えたのかも覚えていない。

もちろん、それがあたしに対する、ヤツらの制裁だってことはわかってたけど、そんなことより。
そのときあたしが感じていたのは。

圧倒的な絶望だった。

ステージの上だけは、誰にも手出しのできないあたしの、あたしたちだけの聖域だって思っていたのに。ステージに上がれば、どんなに抑圧されたあたしたちでも、そこはあたしたちだけの物だって思ってたのに。
こんな汚い手で汚されたことにも。

あたしの名前を呼び、あたしに手を振るオーディエンスの誰も、これがあたしの本当の声じゃないことに気がつかないことにも。

切られたマイクに、どんなに声を振り絞っても、誰にも、自分にすら届かない、あたし自身の無力さにも。

涙が溢れた。
声の限りに叫んだ。
歌じゃない、歌詞じゃない。
ただの絶叫。

「あああああああーーーーーーーーー!!!!」

それすらも、誰にも届かなかった。

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コンサートが終わる頃には、あたしのマイクが切られていたことにメンバー全員が気づいていた。そして、完璧にあたしをフォローしてくれていたんだと思う。
スタッフは事前にこのことを知らされていたんだろう、多分この日、あたしがスクリーンに抜かれることも殆どなかったと思う。

結果、多分、誰もこのことには気づかなかった。
お客さんは。

そして、ヤツらは多分、その全てを計算に入れて、あたしのマイクを切ったんだと思う。

アンコールが終り、ステージ袖に引き上げて。
あたしはそのまま、床に膝を着いて泣いた。
床にはいつくばって。

メンバーは、そんなあたしをどうしていいのかわからなくて、立ち尽くして見ていることしかできなかった。

こんなみっともない姿を、彼女達に見せたのは初めてだった。
もう、カッコよくてクールなよっすぃーはどこにもいない。
ただの、本当の、みっともないあたしの姿。

多分彼女達の頭の中を渦巻いていたのは、あたしへの同情と、ヤツらのあからさまなやり口に対しての恐怖だったんだろう。
あたしたちはただの仲良しグループじゃない。
歌うことを奪われたら、そこにいる意味なんてないんだから。

でも、あたしにも、周りのことを考えている余裕なんてなかった。
ただ悔しくて。
ただ悲しくて。

そして、ショックだったんだ。

あたしたち以外の人間にとって、あたしたちが歌うってことが、こんなに軽い意味しか持たないことだったなんて。
お仕置きのために、マイクさえも切ってしまえるほど。

必要なのは、あたしたちの声じゃなくて。
あたし達という、従順なお人形だったなんて。

こんなに、あたしに意味がないなんて。

その時。
ステージ袖の床にはいつくばったままのあたしの肩が、そっと抱かれた。
力強くて、優しい腕。
子供だったあたしをときに叱って、ときに励ましてくれた腕。

「よしこ……」

涙に濡れた頬のまま、見上げると。
そこにあったのは圭ちゃんの。
やっぱり泣き顔だった。

あたしの為に、泣いてくれている圭ちゃんの顔。

圭ちゃんはわかってたんだね。
全部、全部。

あたしがいずれこうなることも。
あたし達の歌が、どんなにちっぽけなことなのかも。

「いきがってたワリには、いいザマだな。吉澤」

はいつくばったあたしと、あたしを抱く圭ちゃんの上に、その冷たい言葉が振ってきた。
あたしより、一瞬早く、圭ちゃんが反応した。

「やり方が汚すぎますっ!」

絶望に打ちひしがれるあたしをあざ笑う山田さんに噛み付いたのは圭ちゃんだった。

あたしが反抗的な態度をやめないなら、あたしの敵になるって言った圭ちゃん。
娘。が好きだから、あたしから娘。を守りたいって言った圭ちゃん。
そして、あたしからメンバーを遠ざけた圭ちゃんが、あたしの為に、山田さんに食ってかかっている。
あたしを守ろうとしている。

これからの、圭ちゃんの芸能界での生活は、全部コイツらにかかっているのに。

あたしは、立ち上がって、圭ちゃんを押しのけた。
何も言うことはない。

あたしの愛している彼女達に、あたしも愛されてるって分かったから。
もう何も怖いものもない。

あたしは、固めたこぶしで、楽しそうな薄ら笑いを浮かべている山田さんを殴りつけた。

メンバーも、スタッフも、みんなが見ている前で。

けして体の大きい方ではない山田さんは、あたしの渾身の右ストレートに、あっけなく吹っ飛ばされて、みっともなく尻餅をついた。

なめんなよ。

あたしを。
モーニング娘。を。
あたしたちの歌を。

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娘。は学校みたいだって、前から思ってた。
校則の厳しい女子校みたいだって。

先輩がいて、後輩がいて。
ガミガミうるさい担任の先生みたいなマネージャー達。
さしずめ、チーフの山田さんが教頭先生で、つんくさんが校長先生。
それで、みんなが恐れてるらしい、殆どあったこともない山崎って偉いらしいオヤジは教育委員長かな。
そしてあたしは、その中の、おちこぼれではみ出しものの生徒。

ひとつだけ違うことは、あたし達は月謝を払う代わりに給料を貰っているってことだけだ。

この、厳しい学校で、教頭先生を殴ったあたしに、どんな沙汰があるんだろう。

まだ、ステージ衣装のまま、つれてこられた会場の一室。
向かい合った、腫らした頬にタオルをあてた山田さんと、相変わらずビー玉の目のつんくさん。
あたしはまだ、涙に頬を濡らしたまま。

「ステージで、自分の声だけ聞こえやん気分はどうや?」
つんくさんが抑揚のない声で言った。

「つんくさんが指示したんですか?」
「そうや、もっと前からこうしたろと思てたけど、姫野が頑なに反対しとったからな。姫野まで敵に回したんは失敗やったなぁ、吉澤」

あたしは唇を噛む。
こいつの前じゃ新しい涙も出ない。

「どうしたら、歌わせてくれるんですか?」

自分の声なのに遠く聞こえる。
あたしの声も、変に平坦だ。

「俺に反抗するな!口ごたえもだ。楽屋でロックを聞くな、他のメンバーに反抗的な考えを吹き込むな。そして痩せろ!俺達の言ったとおりのことをして、それ以外のことは何もするなっ!!」

山田さんが喚いた。
あたしに殴られたこと、相当頭にきてるみたいだった。

「他には?」

あたしは、山田さんにじゃなく、つんくさんに聞いた。
ヤツは、気味の悪い薄ら笑いを浮かべた。
それでも全てはコイツの手の中に。

「はいつくばれ。そんで、お願いだから俺のモーニング娘。にいさせてくださいってお願いせぇ。お願いですから歌わせてくださいってな」

あたしは、言われるがまま、ふたりのクソヤロウの前に膝をついた。

泥を舐めるのなんか平気だ。
でも、体も、こぶしも震えていた。

今だけは。
あたしのヒーロー。
その目を思い出させないで。
屈辱にまみれるあたしを責めないで。

FIGHT OR FLIGHT?
あたしに聞かないで。

でも、絶対泣かないから。
せめて、涙はこらえてみせるから。

手のひらと膝に、リノリウムのひんやりとした感触が伝わった。
あたしは床の上、芋虫みたいに背中をまるめてへばりつく。

胃液がせり上がるの感じながら、でもどうか声だけは震えませんようにと口を開く。

「娘。にいさせてください。言うこと聞きます。反抗しません。お願いです、歌わせてください」

「つんくさんの娘。」と言わなかったのはせめてもの抵抗。
娘。はあたし達のだ。
それだけは、死んでも譲れない。

生意気なあたしに土下座をさせることができて、山田さんとつんくさんの気味の悪い乾いた笑い声が、あたしの頭の上で響いた。
あたしをねじ伏せて至極ご満悦。

「これに懲りたらいい子にしてるんだな」

あたしに見えるのは、グレーのリノリウムの床と、バカみたいにぴかぴかのヤツらの靴。
あたしはクソヤロウの前にはいつくばっている。
額を床につけて。
ヤツらはあたしのプライドを踏みつけて粉々にして。
あたしを骨抜きのお人形にしようとしてる。
それだけが、ヤツらの望み。


その夜、あたしは久しぶりに、吐いた。


つづく


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